作れるものは見えるもの - 「アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ」
むかーし、「ムー」とか「マヤ」とか、所謂オカルト・超自然系の雑誌を時々呼んでいたことがあったのです。その中でもワクワクして読んだのは、UMAではなくUFOでもなく陰謀論でもなく(そういうのもキライじゃないですけど)オーパーツに関するトピックでした。
本書「アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ」で扱っている機械は、一見まさにオーパーツ、時代に合わない工芸品です。
20世紀の初めに地中海はアンティキテラ島沖合で発見された、精巧な歯車を備えた謎の機械。これはどのように動くもので、何のための機械なのか。本書は、そのアンティキテラの機械の謎に取り付かれた人々が、その謎を解き明かしていく一世紀に渡る道程を追った物語です。
このアンティキテラの機械に秘められた、信じられない程の精巧な仕組みには本当に驚かされますし、何よりも古代にそのような技術があったことにはワクワクさせられます。
本書の中でクラークの言が引用されていますが、この技術がそのまま受け継がれて正当に進化していたら、いまどのような世界になっていたのか(もしくは、殆ど変わらなかったのか)、色々と妄想想像をかき立てられる機械です。
面白く感じたのは、アンティキテラの機械はその精密で高度な仕組みや機構に関わらず、あくまで当時の常識や見えるものに基づく範囲で、対象のモデル化が行われているという点です。
まったく当たり前で、この機械に限らない話ではあるのですが、どれだけ技術を持っていたとしても、それが適用される対象を認識する主体によって、やはりモデルの内容は決定されるのだなぁと改めて思いました。
…曖昧なモノ言いですが、アンティキテラの機械が何をモデル化しているのかは、本書を読んでのお楽しみ、が良いでしょう(ネタばれになっちゃうし)。
本書ではそのようなアンティキテラの機械自体の魅力についても存分に語られますが、最も紙幅が費やされるのは、その謎に取り組んだ人々の試行錯誤のドラマについてです。
本書で語られる主な研究者は、プライス、ライト、フリースの3者です。特に著者は、ライトの物語について思い入れを以って語っているように感じられます。
ライトがプライスの活動からアンティキテラの機械を知り、その研究と謎の解明に没頭していく過程、裏切りや死別、それらの先にあった更なる困難など、丹念に丹念に追っていきます。
フリースが映像製作者であり、商業的なコネクションや最先端技術を駆使したチームで活動していたのに対して、ライトは友人や息子の手を借りてはいるものの(友人には裏切られたりすらしますが…)、基本的に一人で活動しています。
これには、商業(ビジネス)的なアプローチと趣味(ホビー)的なアプローチの話や、プログラミング界隈でよく言われるサイエンス観点とアート観点の話を思い起こされました。
世間的な評価として「勝利」を収めるのはどちらなのか、本当に価値あるものを作り上げるのはどのようなアプローチなのか。…まあ個人的には両方のバランスでしょ、と身も蓋も無く思ってますけども。
そんな古代のロマンとミステリィ(←森博嗣風)、それを巡るドラマなど、ワクワクしながら読める本書、オーパーツ好きにもお勧めです。
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